ただ居てくれる事への感謝がメンタルを強くする

メンタル

メンタルの強さには個人差がありますよね。つい落ち込みがちな人、なにかミスをしてもケロッとしている人、そして、線路を見つめながらオワリを想像してしまう人、、、、

もしも自分の大切な人が落ち込んでいるとき、そばに居れたら良いのですが、そうはいきません。

今の時代、どこから心の無い言葉が飛んでくるか分からないからです。

大切な人の心が傷つかない為にも、メンタルを強くする方法をお話ししたいと思います。

特に子育てをされてる方には有益な情報になるのではないでしょうか。

具体的な方法は1つだけ。『ただ居てくれる事への感謝を伝える』です。

そうすることで、『自分は自分、人と比べる必要がない』と感じてもらうのです。

なぜ、これだけでメンタルが強くなるのか、私自身の経験からお話させてください。

新入社員、公園へ捨てられる

私は今、実家から遠く離れた会社に就職し、建設現場の作業員として働いています。

10年ほど前、新入社員だった私はやる気で溢れていました。要領は悪く、迷惑ばかりかけていましたが『きっと自分なら大丈夫』と、根拠のない自信だけは持っていました。

しかし、当時の上司からは良く思ってもらえませんでした。

仕事は少しずつ覚えてるのに、任せてもらえる作業は減らされ、

自分で考えて行動しようものなら怒鳴られ、

気付いたら、怒られずに済む作業は片付けのみなっていました。

そんなある日の朝、上司が私を作業車に乗せ、人気のない公園へ着くとこう言いました。

「弁当持って降りろ。夕方、また迎えにくる。」

全く意味が分かりませんでした!

その日の仕事内容は事前に把握していました。自分の役割はきっとあると思い出社したのに、本当に何もさせてもらえなくなりました。

実家から遠く離れた会社で、助けてくれる人は誰もいない。

誰も居ない公園でただ1日が過ぎるのを待っていました。なぜか落ちていた木の枝を拾い、仏像を彫っていた事を覚えています。多分、イライラをぶつけて心を落ち着けたかったんだと思います。

もうすっかり暗くなった頃、やっと上司が迎えにきてくれました。どうやら仕事が手間取っていたようです。(私にもできる仕事はあったのに、、、)そうして長い、長い1日が終わりました。

作業員として認められ、チームの中心に

公園へ捨てられたのはその1日だけでしたが、人として見てもらえないような酷い扱いは5年ほど続きました。5年間も一体何をしてたんだ!と、当時の自分を叱りたいですが、同時にメンタルが崩れなかったことは褒めてあげたいです。

そしてこの時期、転機を迎えました。上司は別の部署へ異動。そして新しい上司が私につきました。

新しい上司からは、たくさんの仕事を与えられました。相変わらず要領は悪かったのですが、経験を積み、自分なりに作業方法を考え、今では重要な作業を任せてもらっています。

酷い扱いをしていた上司も、今の私を認めてくれています。何か困った事があれば私に相談してくれることもあるので、当時とはずいぶん変わったなと思います。

気づき

「お前はメンタルが強いな」と、言われる事があります。

確かにそうかもしれません。毎日存在を否定されるような扱いを受けていたのに、欠勤することもありませんでした。しかし、なぜメンタルが強いかなんて考えたこともありませんでした。

そして今、私はその答えに気づきました。

メンタルが強い理由は、『ただ居てくれることへの感謝』を受けていたからです。

そして、『自分は自分』と、他の比べる事をあまりしなかったからだと思います。

小さい頃の思い出です。

私はよく祖母の家に遊びに行きました。玄関をガラガラと力強く開け、大きな声で、「ばーちゃん!きたよ!!」と用も無いのに呼びつけます。

すると必ず、『来てくれたのね、ありがとうね』と、笑顔の祖母が迎えに来てくれます。私はそんな祖母が大好きでした。

今思い返すと、祖母はとても忙しい人でした。祖父の仕事も手伝いながら自分の畑も持ち、家事も全てこなす。なのに私の前では、そんなそぶりを一切見せませんでした。

必ず笑顔で迎えに来てくれて、何か食べ物を持って来てくれる。帰ろうとすると寂しそうに『また来てね、ありがとう』と言ってくれる。

私は、ここに居るだけで人を笑顔にできるんだ。自分にはそんな価値があるんだ。

と、思えるようになりました。

社会人になり、上司から存在を否定されるような酷い扱いを受けても、『自分の価値』を崩されることはありませんでした。

私のメンタルの強さは、祖母がくれた『ありがとう』の積み重ねでした。自分は自分。だから人と比べる必要もあまりなかったんだと思います。

これからどうするか

『自分の価値』がわからなくなると、価値を測るために他の人と比べてしまいます。しかし、自分より優秀な人は必ず存在します。

そもそも、他の人と比べる必要はあるのでしょうか。価値のない人なんて、存在するのでしょうか。人って、命って、値踏みしていいものなのでしょうか。

私は妻の妊娠を知った時、両手を上げて叫びました。やった!嬉しい!ありがとう!と、今までにないほどの喜びを感じました。

産まれてくれて、今も元気に生きてくれて、それだけで周りの人たちを笑顔にしてくれます。

これは、誰にでも当てはまることではないでしょうか。

小さな頃、ただそこに居るだけで誰かを笑顔にしていたのではないでしょうか。

しかし、大きくなるにつれ、褒められたり、時には叱られたりします。

そうすると、『自分の価値』が崩れるんです。

上手に絵を描いたね!

早く片ずけなさい!!

ご飯キレイに食べたね!

こら!ここで走らないの!!

こうして、自分ではなく、行為の方が大切なんだと感じてしまいます。

学校へ入ると嫌でも人と比べてしまいます。自分より頭がいい人、運動ができる人、モテる人、面白い人、たくさんの人と出会います。

周りは『特別』な人ばかりです。ここで、何も『特別』なものがないと感じる人は、劣等感にかられるかもしれません。

逆に、『特別』なことがある人は、そこに自分の価値を見いだせるかもしれません。しかし、『特別』なことができなくなってしまったらどうなるでしょう。

いつも成績優秀でテストのたびに褒められてた子がいたとします。もしその子が勉強についていけなかったら?

頑張ってるのに、今まで以上に勉強してるのに点数が取れない。親からはテストのたびに不満そうな顔をされる、、きっとその子は『自分の価値』に自信をなくしてしまいます。

では、スポーツが得意でいつも目立っていたのに、大きな怪我をしてしまったら?

きっとその子は、周りから置いていかれたような気持ちになると思います。

このように、『特別』に価値を置くと、心は壊れやすくなるのではないでしょうか。

ではどうするか。『自分は自分、人と比べる必要はない』と感じてもらうのです。

『ただ居てくれる事への感謝』を伝えて、特別でなくていい。あなたはあなた。何もしなくったって価値がある。と伝えるのです。

私が子供に対して実践しているのは、「ここに居てくれてありがとう」「大好きだよ」と、普段から伝えたり、仕事から帰ったら「会いたかった!」と強く抱きしめるといった事です。

余談かもしれませんが、私はよく、明日死ぬとしたら?と想像します。そうすると、本当に『ただ居てくれる事』が嬉しく感じるのです。

今の時代、常にインターネットにつながり、誰とでも交流できてしまいます。SNSを開けばキラキラ輝く人ばかり。そこでは嫉妬や心ない言葉も飛び交います。

学校や社会ではいつも競争させられます。成績、売上、実績、、

どこへいっても人と比べる事ばかりです。

もし、誰にもに負けないぞ!!と原動力にできる人はそれで良いんですが、人と比べると傷つく事がほとんどです。

『自分は自分、人と比べる必要はない』だって自分は世界に1人しかいないんですから。

こう考えることのできる人は、これからの時代も心を強く生きれるはずです。

その為にも、自分の大切な人に、『ただ居てくれる事への感謝』を伝えましょう。特別でなくたって良い、あなたはあなたなんだと。

このブログが少しでもあなたの人生の役に立てたら嬉しいです。どうもありがとうございました☺️

コメント

タイトルとURLをコピーしました