しにたい妻と、しんでもいい夫の階段

メンタル

これは、死ぬことを考えてしまった妻に、少しでも幸せを感じてもらうために、私がしたことを記録したものです。もし、あなたの大切な人が悪いことばかり考えているのでしたら、読んで欲しいです。きっと誰もが『幸せに敏感(びんかん)』になれると思います。

ある日、帰宅すると、妻が泣きながら話してくれました。

「自分が、嫌。もう、死にたい。運転もできないし、そのせいで保育園にも送れない。子供にも、すぐに怒ってしまう。母親にも向いていない。私やあなたの会社にも迷惑をかけてばかり。。。」

妻は『強迫性障害』と『鬱(うつ)』の症状をかかえています。妻の症状は簡単には治りません。毎日、『大きな不安』と戦っています。そんな中での子育て。大変に決まってます。しかし、死んでいいはずがありません。私はこう答えました。

「迷惑なんて、誰も思ってないよ。君は一生懸命に頑張っているじゃないか。それに、死にたいなんて言わないでくれ。良いことだって、たくさんある!」

妻は小さな声で、「無い。良いことなんて、何も無い。」と、目をこすりながら答えました。

私は、「毎日、辛いよね。でも、僕は幸せだよ。これは君のおかげなんだ。 僕たちが2人で暮らしていた頃。妊娠検査薬の『陽性』を見て、大声出して喜んだよね。周りの人の迷惑も考えずに叫んでしまった。僕は、どうしたら良いのかわからないくらい、幸せを感じていたんだ。  それから、妻と赤ちゃん、無事に生まれて欲しいと願った。生まれたら、元気に育って欲しいと願った。そして、2人目の妊娠、出産。。全ての願いが叶っている。なんて幸せな人生だろう。この幸せは、君が居てくれたからだよ。」と伝えました。

しかし、妻の表情は、何も変わりませんでした。聞こえてるのかも、わかりません。

あぁ、本当に辛いんだな。不安や、嫌なことでいっぱいで、今の幸せが見えなくなってしまったんだな。。だったら、見てもらおう。

私はその日、スマホに眠っていた思い出の写真をたくさんプリントし、階段をアルバムにすることに決めました。毎日、階段の上り下りの時だけでも、幸せを感じていた時のことを、思い出してもらおうと思ったのです。

私は、たくさんの写真を貼りました。大きな公園に行ったときの写真。旅行へ行ったときの写真。写真館で撮ってもらったものもあります。しかし、たくさんの写真を見て、気づきました。

あ、この写真好きだな。と思う写真は、なんでも無い日の写真でした。チャイルドシートで、なぜか笑ってたので撮った写真や、リビングで寝転がってる時の写真など。ただの日常の写真の方が、見ていて幸せを感じました。

そうか。何かのイベントの日よりも、毎日の日常の方が、特別なんだな。私はそう気づき、もういつ死んでも良いや。と思えるほどに幸せを感じました。

翌朝、妻は写真を見て、「何してんの」と半分笑いながら言いました。それから、少しだけ、妻の笑顔が増えたような気がします。

幸せは日常の中にたくさん存在しています。自分の帰る場所があり、そこには家族がいる。お腹が空いたら食べるものもある。十分すぎるほどに、幸せです。 

人が抱える『不安』とか、『欲』はどこまでも膨らみます。『幸せ』は、探せばたくさん見つかります。どう感じるかは、その人次第です。幸せに敏感(びんかん)になることができれば、世界の見え方も変わると思います

読んでいただき、ありがとうございました😊

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