この前、1才の娘がテーブルによじ登っていました。嬉しそうにしていたのですが、高さに気が付いたのか、下ろして!と、助けを求める姿がかわいかったです。
危ないから、上がらないでほしいんだけどね(笑)
子供は好奇心の塊ですね(笑)
もしかしたら、親がいるから、危険なことをするのかもしれません。何かあっても助けてくれることが分かっているから、好奇心のままに行動できるのではないかと思うのです。
そういえば、チラッと目が合った後に危ないことをする気がする。
人は、不安になったとき、傷ついたとき、帰ってこれる心の支え、『拠りどころ』があるから、どこまでも成長できるんだと思います。そして、娘にとっての『拠りどころ』は親なんだと思うのです。これからの娘の成長のためにも、安心できる『拠りどころ』でありたいです。
『拠りどころ』は、誰にでも必要です。子供であったり、パートナーであったり、友人であったり。不安になった時に支えになってくれる存在は大きいです。
娘は本当にかわいくて、私の『拠りどころ』になっています。ずっとこのままがいいのですが、自立をしないといけません。娘はいずれ家を出るでしょうし、いつまでも依存はできません。
ブッダは、『自己の拠りどころは自己のみである』という言葉を残しています。確かに、自分以外を『拠りどころ』にするのは危険な気がします。人は変わりますし、時代も、常識も大きく変わろうとしているからです。
もしかしたら、娘に嫌われるかもしれないよね(笑)
最悪の未来です(笑)
でも、自分にコントロールできないことを悩んでも仕方ありませんよね。
ブッダが言うように、『拠りどころ』を自分の中に置くと、心が安定すると思います。自分の人生の指針を自分で決める。責任は自分にあるので、周囲に文句も生まれない。最近は情報が多すぎて、人生の指針がブレそうになりますが、自分の『拠りどころ』に戻ることで舵が安定します。
私は、『自分と自分の周りの人を幸せにする』という信念を、拠りどころにしようと思います。何か迷っても、このために行動して、真っ直ぐに成長できたのなら、いつ死んでも後悔はないと思うんです。娘が高いテーブルからの景色を見たように、私にも新しい景色が見えるのではないかとワクワクします。
今日も、ありがとうございました!
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